ようこそ
星の記憶の物語へ
ひとつであるとき、私たちは自分が何者であるかを知ることができない
とても穏やかであるけれど、刺激のないつまらない世界でもある。
創世記のリラの住人たちは、そんな世界に飽きてしまったのかもしれない。
意図すれば、即座にすべてが現れる世界。
自他の隔たりがない世界。
それは、私たちにとって当たり前の世界だった。
個としての意識はあったが、大いなる存在と共にあり、私たちは常に満たされた存在だった。
それは、未来永劫続くように思えた。
ただ、宇宙は、常に変化を望む。
永い間、流れのないエネルギーで満たされた器は、壊されなくてはならなかった。
喜びに満ちた状態を、なぜわざわざ壊すようなことをするのか。
善いものも、流れなくなれば、やがて淀む。
清流が清くいられるのは、流れがやまないからだ。
器が飽和状態になれば、それを自ら破壊し、次の器をつくらねばならない。
その器をつくるため
私たちは、あらゆる周波数を体験することを選んだ。
それが、堕天の始まりだった、という。
天、というのは上にあり
地、というのは下にあるのか
本当は上も下もなく、高いも低いもない。
すべては振動数、波動の微細さの程度だけれど
敢えて高い低いという表現をするのなら
堕天は、『敢えて低きを選ぶ』という、選択。
堕天使とは、罪ゆえに追放された者たちではなく
変革を志願した者たちなのだ。
果たして、リラの星は、分離へと周波数を落としていった。
すべてが二つに引き裂かれた世界。
まだ意識を保っているうちは、その二元性のドラマも緩やかなものだった。
だが、周波数の降下が進むほどに
私たちの想念が描くドラマは、激しさを増していった。
私たちは、自分がもとは何者であったのかを忘れ、互いに奪い合う放埒の世を創りあげていった。
今、この地球で起こっていることは、私たちの帰還への道だ。
あらゆる分離を体験し終え、故郷へ還る
永い永い旅を終わらせるそのとき
そのために私たちはここにいる
〜Leela〜